週刊ジョージア読んでる? 歌手・俳優 及川光博 「失敗は恐れるべき」ミッチー流の自己責任論

「失敗は恐れるべき」ミッチー流の自己責任論

Vol.78

2015/5/27更新

デビュー当時は「王子」を名乗り、浮世離れしたキャラで人気を獲得。俳優としても、「相棒」の神戸尊(かんべたける)役などでブレイクしたジャンルレスなエンターテイナーである及川光博が、今年デビュー20周年を迎えた。一見トントン拍子に見えるが、その陰には相当な努力が。多才でマイペースに見える“ミッチー”の素顔とは?

プレッシャーと戦い抜いた「相棒」1年目

――本日は、印象深い失敗など“ほろ苦い”体験をお聞きしたいのですが。


割と慎重派なので、デビュー以来、大きな挫折や失敗はないんですよね。


なぜかと言うと恐らく、“すごく考える”んですよ、動く前に。


――なるほど。では、一番動く前に考えたのはいつでしょう?


「相棒」(テレビ朝日系)で、水谷(豊)さん演じる杉下右京の2代目相棒に抜擢された時です。

あのときは、ありがたさ以上にものすごいプレッシャーを感じて。

人気シリーズであるがゆえに「アンチファンが増大するだろうな」っていう恐怖もあった。

そこで「逃げるが勝ち」と考え、逃げてしまうのか。「いや、むしろ逆転もあり得るのかも?」って思うのか。気持ちとしては、どっちもありました。


――そこで、「逆転もあり得るかも」を選んだんですね。撮影が始まってからも、かなりプレッシャーがあったのでは?


初の“相棒交代”でしたからね。うまくいったら番組のおかげ、失敗したら全て僕のせいというアウェイ感。


「視聴者に神戸尊を受け入れてもらわなければいけない」「あわよくば愛されなければ」っていうので、ものすごくエネルギーを使いましたね。


――どうやって乗り越えたんですか?


乗り越えるというか、基本的には監督の指示に従う職業ですから“ひたすらやるしかない”わけです。

ただ、僕自身が持ってるムードやら個性というものは、カメラが回ってない時にも人に伝わるじゃないですか?

監督やスタッフの皆さんがそれを抽出してくれて、神戸尊という役と僕という2つの像を近づけていったんだと思う。


――及川さん一人の努力ではなく、チームワークがあったから乗り越えられた?


もちろん「台本以上に面白く演じなければいけない」っていうところでの創意工夫は、水谷さんと相談しながら、精一杯やった自負がありますけどね。

そして、結果的に最初のシーズンが終了した時に、なんだかとてもハッピーな結果になったんですね。


――視聴率も好調でした。


数字だけでなく、ドラマの内容もね。

いや、涙が出ましたね。とことん向き合った。「戦ったな…」と。



“デビュー戦”に勝たなきゃ歌手として未来はない

――近年は俳優としての活動が目立ちますが、96年の歌手デビュー時の、中性的で異質な “王子キャラ”は衝撃でした。


ファーストインパクトは大事ですからね。インパクトがなければ新人は印象に残らない。


メディア露出のために“自ら作り上げたキャラクター”だったんです。

「デビュー戦に勝たなきゃ未来はない」って、必死でしたからね。


――賛否両論あったのでは?


うん。賛否両論あるということは狙いのひとつでもありましたから、それは良かったと思います。

当時は、自分を試しながら他人も試していたような気もしますね。尖っていたというか、好戦的で。

「自分が提示した作品を、好きか嫌いかはっきりしてほしい」そういう時期でした。


――“作品”というのは?


歌もそうですが、“王子”“ミッチー”というキャラも含めてですね。


――そのキャラも成功しブレイクされますが、2年後の98年のライブ中に突然「王子を辞める」と宣言されます。


「王子転職宣言」ね(笑)。

イメージってすごいもので、最初に刷り込まれるとなかなか払拭できない。みんなそのイメージで見続けるし、“そういう存在”として扱われるわけですよ。


インパクトを与えるために自ら作り上げた“王子様”を、窮屈に感じてしまったんです。

「策士策に溺れる」ですね(笑)。


――1万2000人も観客がいた会場では、「王子辞めないで!」という悲鳴と、「王子転職宣言って何?(笑)」という笑いの両方が起こったとか。


すごく微妙な空気でしたよ(笑)。

でも実際、半分冗談、半分本気というか。“つかみどころのなさ”っていうのは意識してましたね。

尻尾をつかまれたら、あとは流行るか廃れるかしかないですから。


――自己分析が巧みですね。


いや、本当に自分のことを客観的に見られるようになったのはデビューしてから10年後くらいで。

王子転職宣言のときは、実際そこまで深く考えられていたか分かりません。

イメージを窮屈に感じた時期もあったからこそ、その後、客観的に自分をプロデュースできるようになったところはあると思いますね。



暗かった少年時代が表現者への道に繋がった

――及川さんは意外と下積みが長くて、歌手デビューは26歳なんですよね。音楽よりも先に、俳優養成所で演劇を学び俳優を目指されていて。


そこね、ややこしい話なんですけど(笑)。


大学時代はロックバンドを夢見てたんですが、バンドが解散してしまい、今度は俳優を志したもののチャンスをつかめず。

結果、ソロ・アーティストとしてデビューしたんです。

でも辛酸を舐めたというと、むしろもっと前の10代の頃で。


――どういうことでしょう?


対人関係ですね。「思い通りに生きたい、でも周囲がそうさせてくれない。それはなぜなのか?」っていうところで悩む。

でも誰かのせいにしてしまうと、そこに憎しみや恨みが生まれてしまい、自分のせいなのか?といったら、「100パーセントそうとは言えないはずだ」と。

そういう自問自答を繰り返してましたね。


――デビュー後の、はっちゃけた及川さんとは真逆なイメージですね。


暗かったですね(笑)。仲間はずれだったし。

一人でいるのが好きでした。1時間目の授業をサボって、のんびり喫茶店で小説を読むような高校生(笑)。

ただ、その自問自答は僕がエンターテインメントの世界で生きていこうと決意するきっかけになっていて。

ざっくり言ってしまえば「目立ちすぎると叩かれる、じゃあ目立って評価される仕事に就きたい」と思ったんです。


――表現者として生きていこうと。


うん。なんとかして「自分の独自性や個性に価値を持たせたかった」というのがあります。

そして「より多くの人のハッピーに貢献できるならば、必ず必要とされるだろう」という思いがあって、プロを目指しました。



ダメならダメで最終的に自分の人生

――その後、歌手として夢を叶え、さらに今では俳優としても大活躍です。


皆さん、歌とお芝居というカテゴリーを分けたがりますよね。

でも、僕としては「“エンターテインメント”のひと言じゃだめですか?」っていう気持ちなんです。


――表現方法が、少し違うだけであると。色々な「及川光博」をご自身でプロデュースされていますが、“自分の売り方”を考えるマイナスもあるのでは。


ないです。ダメならダメで、最終的に僕自身の人生じゃないですか。

それこそ、人に任せていても失敗したときに誰も責任とってくれないですからね。要は成功も失敗も自己責任でやってきたので。

恐らく10代のころのトラウマというか、きっと深いところに闇があるんでしょうね。

「人を信用するけど信頼しない」みたいな。だからずっと、セルフプロデュースを続けてきたんだと思う。



失敗は恐れるべきです

――芸能生活20年を迎えるにあたり、やってみたいことは?


2つあって、まず他者のプロデュースを僕の培ってきた人脈とチームを駆使してやってみたい。

そこで、より客観的にモノ作りの楽しさと厳しさを学べるんじゃないかと思って。

あとは活字ですね。今もモノは書いてますけど(※)、もっと長い作品に50代になったら着手したいと思っています。
(※発言集「及川光博、かく語りき。」などを刊行)


――及川さんと同年代の方に向けて、40代では、どんなことをやっておくべきなんでしょう?


やはり若手の支持を得る…「次世代の中心メンバーになる方々、20代、30代の期待に応えること」だと思いますね。

また、50、60になっても、その時の30代、40代の言うことを聞くべきだと思う。

よく「老兵去りゆくのみ」なんて言いますけど、“去らずにその中で機能するべき”だと思いますね。

相互利益のために、というと計算高いイメージになってしまいますけど、やはり老いる前に次世代の支持を得るということは大切で。

自分も「尊敬できる先輩」「できない先輩」って査定をしていましたし。


――及川さんにとって、尊敬できる先輩といえば?


美輪明宏さん、忌野清志郎さん、水谷さん、唐沢寿明さん、ですかね。パッと思いつくのは。


――例えば、水谷さんの見習いたいところは?


「チームに愛される」ということですね。


朝、スタジオに入ったとき、水谷さんは全員と握手するんですよ。

さらに、照明スタッフさんとかには、相手が手袋を外す手間を考慮してグーパンチで済ますようにしているんです(笑)。


――すばらしい気づかいですね。


うん。だからコミュニケーション能力って、いずれにせよ高くて損はないと思います。

それに、大人になればなるほどチャーミングになるべきですよ。

上から目線でものを言ったって、次世代の人々は冷静に判断してると思います。


――たしかにそうですね。最後に、“失敗”について、色紙に書いていただいた格言についてお聞きしたいのですが。


「失敗は、恐れるべきと思います。考えてから、行動しよう」。七五調にしてみました。


――今までのタレントさんは、「失敗を恐れるな!」という方向の言葉が圧倒的に多いんですが、そうは思わない?


だって“失敗を恐れないから失敗する”んですよ(笑)。でしょ?

自分の生き方やスタイルを曲げたくなくて選んだ仕事ですから、その仕事を失いたくない。

だから、“失敗は恐れるべきもの”なんです。


ほろ苦人生訓


今号の“ほろ苦”アニキ

及川光博

おいかわ・みつひろ●’69年生まれ、東京都出身。’96年、「モラリティー」で歌手デビュー。翌年から並行して俳優活動も開始、テレビドラマ「相棒」(テレビ朝日系)や「半沢直樹」(TBS系)など高視聴率番組にキャスティングされている。なお今年はデビュー20周年にあたり、全国20公演のメモリアルTOUR開催中。5月27日には3枚組ベストアルバム「20-TWENTY-」をリリース。

取材/石角友香 構成/questroom inc. 撮影/小田原リエ

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